自己紹介
1950年生。北海道育ち。
子供の頃に患った蝶への熱病が98年、30年ぶりに再発。今のところ完治の見込みなし。 こまったものだ。 現在は北海道在住。 ___________ エキサイト以外のリンク 日本道路交通情報センター あやはべる/撮影日誌 蝶の観察記録 My Favorite Butterflies of JAPAN my蝶あるばむ Hirokou's Field Notes naoggio写真日記 受身の園芸 自然散策雑記帳 四季おりおり Googleマップ 最新の記事
フォロー中のブログ
90% Papillon... 登山道の管理日記 てくてく写日記 愛野緑の撮影記録 蝶の観察記録その2 呑むさん蝶日記 蝶・チョウ・ゆっくり歩き... 鳥蝶ビデスコ フィールドノート 四季彩散歩 小畔川日記 探蝶逍遥記 ヘムレン の Natur... 蝶の玉手箱 安曇野の蝶と自然 NATURE DIARY みなみかぜ通信 ヒメオオの寄り道 うすばしろちょう ひらひら探検隊 NPO法人 日本チョウ類... たかがヤマト、されどヤマト 秩父の蝶 カテゴリ
全体 プロローグ 蝶の思い出 私の宝物 蝶の不思議 アゲハチョウ科 シジミチョウ科 ジャノメチョウ科 シロチョウ科 セセリチョウ科 タテハチョウ科 マダラチョウ科 テングチョウ科 いろいろな蝶 いろいろな虫たち 蛾 類 カミキリ類 トンボ類 その他 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
先月末のことです。
峠から下る途中の道には所々にコンクリートの石垣が設けられていて、そこに色々な蝶たちが集まっていました。 中でも目立ったのはテングチョウです。 それこそ夥しい数のテングチョウがいて、その群れは車が接近すると一斉に舞い上って実に壮観な眺めでした。 但、沢山いても大変に敏感で撮ろうとしてもなかなか近寄らせてはくれませんでした。 それならばもっと鷹揚な他の蝶たちに遊んでもらおうかと思ったのですが周辺のテングチョウが舞い立つので、それにつられて、その蝶も飛び立ってしまうのでした。 でも吸水中の蝶は、特にタテハ類はまた舞い戻ってきますから何とか撮らせてもらえました。 色々な蝶たちに遊んでもらえて面白かったです。 #
by clossiana
| 2011-07-16 12:08
| タテハチョウ科
|
Comments(6)
あれは私が小学4年生の時のことですから、もう50年以上も昔のことです。
秋になって友達数人と近くの山へ山ブドウを採りに出かけたのです。山ブドウは今では殆ど誰も見向きもしませんが、あの当時の子供達にとって山ブドウ採りは楽しみの一つでした。勿論、当時でも駄菓子屋へ行けば飴やお菓子は売っていました。でも誰もポケットに一円も持っていないのが普通でしたから野イチゴ、桑の実、グミ、コクワ(さるなし)等は見つけ次第食べていたものです。 思えば当時は終戦からすでに十数年が経過していましたがラジオでは未だ「尋ね人の時間」という放送で戦争中に行方不明となった人達を探していましたし、お祭りの日などには街角に傷痍軍人が白装束で立っていて尺八やアコーデイオンを演奏して、お布施をもらっていたものでした。ですから未だ戦争の影が色濃く残っていたのです。それに欠食児童といって給食以外には殆ど何も食べていない子供達が沢山いましたし、また小児麻痺が流行ったりもしていました。DDTのことも忘れられません。小学校の廊下に一列に並ばされた我々児童に保健所から来た人が頭や脇の下にDDTの粉をふりかけたのです。あの悪名高いDDTですが当時は花形だったのです。 話が横道にそれてしまいました。 話を山ブドウ採りに戻します。 山ブドウは見つけること自体は簡単だったのですが大抵は高い木の上でしたから子供達には手が届きません。でも背丈が低いところにもあって、それは仲間の秘密の場所でした。その秘密の場所へ行こうと皆で山道を登っていく途中で私はミヤマカラスアゲハの前蛹を見つけました。それは道の脇のシダにくっついていました。 その頃、私は蝶を集めていましたがミヤマカラスアゲハは持っていませんでしたから、この前蛹を見つけた時には大喜びしました。 でも、それを採ってしまうと山ブドウ採りの邪魔になるし、前蛹は逃げる訳ではありませんから「帰りに採ればいいや。。」と思い、そのままにしたのです。 やがて一行は秘密の場所に着きました。 そこは山ブドウのつるが地表付近で複雑に絡み合っている場所でしたからジャングルのようで、皆、背をかがめての前進でした。そして前方には山ブドウがたわわになっているのが見えていました。 その時です。 誰かが「蜂の巣だ!」と大声を上げたのです。 それで皆、ぎょっとして前方を見るとドッジボールの大きさくらいの蜂の巣が山ブドウの蔓にぶらさがっていて、その巣の表面には何頭かの蜂がいるのもわかりました。私も仲間もこういう蜂の巣を見るのは初めてでした。その内、M君が少しだけ蜂の巣に忍び寄りました。すると一頭の蜂がM君の方へ飛んできたのです。M君はそれを手で払いのけようとしました。 その次の瞬間です。 いきなり数頭がM君の頭の回りをぶんぶんと飛び回り、同時にM君の悲鳴が聞こえました。それで皆、大慌てで一斉に逃げたのです。山ブドウのジャングルを出て山道を駆け下りました。M君も後から追いついてきましたが何ケ所も刺されたようで泣いていました。それから皆でとぼとぼと家路につきました。あの頃はM君を病院へ連れて行かなければなどとは誰も考えが及びませんでした。 翌日は小学校の運動会でしたから私は運動足袋をはいて登校しました。頭を包帯でぐるぐる巻きのM君も元気に来ていましたが目の近くも刺されたようで、人相が全く変わってしまってお岩さんのようでした。 ところで、私はあの騒ぎの中でミヤマカラスアゲハの前蛹のことなどすっかり忘れていました。それで後日になって一人であの山へ探しに行ったのです。でも見つけた場所が何処だったのかが正確に覚えておらず結局、見つかりませんでした。 あれからもう50年以上経っていますが時々あの時のことを思い出します。 M君のことともう一つ、前蛹の疑問です。 「あの前蛹はどうしてあんな低いところにあったのだろう?」 あの前蛹は地表10cmくらいの高さにあったのです。それでは雪が降れば埋もれてしまいます。でも葉の落ちた木で蛹がむき出しについているところを見た経験がありません。 「案外、ミヤカラの蛹は雪の下で越冬するのかもしれないな?その方が暖かそうだし。。」 「だから、あの前蛹は間違って、あんな低いところで蛹化しようとしたのではない。。あれが正解なんだろうな」 と懐かしさとともに推測しています。 #
by clossiana
| 2011-07-05 21:01
| 蝶の思い出
|
Comments(6)
(謎が解けたかもしれない編=オオヒカゲ、半夏眠説)
一昨年の6月23日、私は「オオヒカゲの不思議」と題する駄文をアップしました。 内容を要約しますと。。 「北海道と関東ではオオヒカゲのライフスタイルが違うように思われる。。何故このような違いを生ずるのだろうか?」 というものです。この違いとは。。 ○関東ではオオヒカゲは必ずと言っていい程、水辺の回りに生息している。 ●しかし北海道では水辺近くだけではなく、例えば低い山の山頂やササ原、荒れ地のようなところでも見られる。 ○関東では7〜8月には薮や樹林内の薄暗いところに潜んでいる。その為、撮影の際は照度不足に悩まされる。 ●しかし北海道では同じ樹林といっても疎林やササ原のような、もっと明るいところでも飛び交っているのが見られる。 ○関東では開翅シーンは殆ど見られない。 ●しかし北海道では開翅しての日光浴を見ることは稀ではない。 ○関東では吸蜜シーンは報告されていない。 ●しかし北海道ではすでに2〜3例が知られている。 恐らく吸蜜シーンは北海道では注意していれば見ること自体は難しくないのでは?と考えています。 上記をアップして以来、この違いを生む要因を突き止める為に私は新潟や福島の発生地を回ったりしていました。 この二つのタイプの境界線がわかれば、何かがわかってくるかもしれないと考えたからです。 しかし何も得るものはありませんでした。 ところが昨年、この蝶の卵塊を撮ろうと9月下旬にいつもの観察場所へと出向いた時のことです。 何とそこでは今迄に関東では見たことが無かった色々な光景が繰り広げられていたのでした。 ○日中の午前11時〜午後2時の間、複数の母蝶が産卵を行っていた。 ○その産卵行動は日向でも見られた。 ○開翅しながらの産卵が見られた。 ○食草上のみならず樹幹にとまって開翅、日光浴する個体も見られた。 また上記に加えてbanyanさんが同じ頃に別の場所で貴重な観察をされたのです。即ち。。 ○複数個体による樹液での吸汁や地面での吸水などが観察、撮影されたのでした。 こういう多彩な生態は北国と殆ど変わりません。 「そうか、そうだったんだ。。」私はこういう光景を見させてもらったことによって長年の疑問が解けた様な気になりました。 つまり関東と北海道での行動の違いを生む要因は気温のせいではないかと閃いたのです。 関東で色々な行動が見られた9月下旬の最高気温はと言えば25℃前後でした。 これは北海道の夏の気温に相当します。 「でも、もしそうだとすれば、ひょっとして。。」私の頭は次には夏眠するヒョウモン類を連想させたのでした。 御存知のように一部のヒョウモン類は夏眠することが知られています。 クモガタ、メスグロ、ミドリ等々です。 これらの蝶は初夏に羽化した後に何処かへ消え去ってしまい盛夏にみることは殆どありません。 ところが、北国や高標高地では真夏でも普通に飛び交っています。 つまり夏眠という現象が見られないのです。 一方低地では一旦雲隠れした蝶達が再び現れるのは秋です。 何処からとも無く現れてきて吸蜜や配偶行動、産卵等が見られる様になります。 そんなヒョウモン類を念頭において、もう一度オオヒカゲについて考えますと真夏に於ける北国と関東のオオヒカゲの行動の違いがとても理解し易いように思えてきました。 関東では6月下旬に羽化したオオヒカゲはやがて近くの薮や樹林内の薄暗いところへ移動して、9月中旬頃までの3ヶ月間もの長い期間を殆ど何もせずに過ごしています。 でも本当の夏眠ではありませんから人の気配などを感じると、渋々飛び去ります。 そして秋になって初めて再始動します。 「今迄、関東で見てきた真夏のオオヒカゲの姿は半夏眠状態のものだったのではないだろうか?」 私は今、この怪しげな説の虜になっています。 目下の最大の興味は交尾がいつ頃、行われるのか?です。 それが秋だとすれば半夏眠説の傍証となりそうだからです。 #
by clossiana
| 2011-07-01 22:41
| 蝶の不思議
|
Comments(4)
曇り空の日、小径に沿って歩いているうちにヒメヒカゲの発生地へ到着しました。
いつもなら何頭もの個体が飛び交っているのですが、この日は一頭も飛んでいません。 きっと曇天で気温も低いからでしょう。 それでも歩いていると足元からパラパラと飛び立ちました。 飛ぶときには金色に見えました。辺りが暗いときには翅裏の色が光って見えるからでしょうか? でもすぐにとまってしまいます。 それを追って近づいていくとまたパラパラと逃げます。 追わないでいると、やがて「やれやれ。。」とでも思っているかの様に翅を開きます。 この開翅は2〜3秒で、すぐに翅を閉じます。 そしてまた開きます。こんなことを数回、繰り返してから、やがて翅を閉じたままじっと動かなくなってしまいました。 他の個体達もこれと同様に開翅と閉翅を繰り返してからじっと動かなくなります。 こういう光景はこの蝶のみならずヒカゲチョウやジャノメチョウの仲間ではよく見られます。 この開翅と閉翅の繰り返しにはどんな意味があるのでしょう? ○すぐに飛びたてるようにウォーミングアップを計っているのか? ○追われてほてった身体をクールダウンしているのか? その理由が何であれ私には追っ手から逃れたヒメヒカゲが後で「やれやれ、こまった人間がいるものだ。。」とため息をつきながら、つぶやいているように思われました。 #
by clossiana
| 2011-06-24 20:55
| ジャノメチョウ科
|
Comments(8)
オオヒカゲの蛹には2型あることが知られています。
即ち、緑色型と茶型です。この点ではナミアゲハと似ていますがナミアゲハの場合、この2型を決める要素は蛹化場所がつるつるしているか、ざらざらしているかで、どっちの色になるかが決定されていると最近の研究で判明しました。(注1) つるつるであれば緑色となり、ざらざらしていれば茶色となるのですが自然界でつるつるとした場所とは食樹の葉や小枝ですから緑色だと保護色となり蛹にとって都合がいいわけです。 またざらざらした場所とは自然界では食樹の太い枝、幹であり又近くにある塀などですから、これまた茶色であれば蛹が目立ちません。 ところでオオヒカゲの場合はどうでしょうか? 今回の観察では合計11個体を見出す事ができましたが、その内、緑色のものは9個体で茶色のものは2個体でした。 緑色の蛹は全て食草であるカサスゲにぶらさがっていましたので目立ちません。 2個体中、1個体は何かの植物の茎にぶるさがっていました。回りに何も無く無防備な感じでしたが茎の色は茶色でしたから、これは隠れ方としてはまぁまぁとして。。 もう1個体は緑色蛹と同様にカサスゲにぶらさがっていたのです。 回り中が緑色なのに平然と茶色の蛹となっていたのです。 一体、どういう了見なのか? この蝶の蛹の色を決めている要素って何なんでしょうね? 注1:蝶・サナギの謎/平賀壯太著(トンボ出版)2007年 #
by clossiana
| 2011-06-19 14:10
| ジャノメチョウ科
|
Comments(8)
|
ファン申請 |
||